2010年5月11日火曜日

ふと思うこと。5月11日

最近、ウェブ環境でメディアのあり方や
幸福論だとかが論議を呼んで、
世代論だとかに波及し始めるほど、
ある対談が大変話題になっておりました。
誰が正しいどうこうというより、私としてはこう、今を考えるのに、
面白い出来事だったなと、ミラノサローネ後の時代感、
ギリシャの暴動やらなんやらとあわせて、
いろいろと考えてしまったのですが、

映画だろうが、音楽だろうが、デザインだろうが、芝居だろうが、経済だろうが、
ひとつの串にあつまってきている。

いろんな人が
いろんな世界を抱えていて
それはそれで一つの真実であるという、
ある種仏教的にすべてを内包するような時、
メランコリーなだけでない、
ポジティブメローな時代になってきているのかなと。

でその一つの真実を、語りすぎることで、
人に押し付けたり、ロジカルに一概に説得できる、
いや、説得しようとするようなことでは
もしかしたらなくなってきているのではないかということ。

なんとなく、ちょっとづつ違うものが集合しているという状態。

まず、時代を語るということ自体も疑問になってきているんですが(笑)。

いや、

こんなことをまた考えてしまったのは、
また故に、糸井さんと堺雅人さんの対談を読んでしまってからなんですね。
品があるということはもしかしたら、別の言葉に置き換えられるのかもしれませんが、
次のところがd大変ココロにひっかかりました。




でも、糸井さんの「品」っていう言葉で、
ああ、そういうことなんだなって。
それは料理だけじゃなくて、
作る映画だけじゃなくて、
いろんなことに言えるかもしれないですよ。
糸井うんうんうん。
わかりやすくないっていうか。
糸井心はちゃんと込められているんだから、
わかってもらえなくてもいいんだ、
あるいは、ありがとうって
言ってくれなくてもいいんだっていう
満足感が品だと思うんですよね。
それをできる人たちが、
やっぱり世の中には結構いてさ。
全部言葉にしたり、
目立つようにしたり、
忘れてると思ったらわざわざ突っ込みを入れて、
もう1回言わせたり、
そういう、悪い意味での
テレビ的なものっていう時代が、
もしかしたら終われるかな。

それがうれしいですよね。
今しゃべってることだって、
「ここはどうしておもしろいかって言うとね」って、
もっとくどくだって言えますよね。
でも、これでいいや、
そのまま出しちゃえばっていうのも、
ぼくらのスタンスとしてはそこがやりたいんですよね。
で、そういうチルドレンが
やっぱり世の中にいるもんだなと思ってさ。
太字にしない強さ。 
と。

あれもあって、これもあるという、面白い今になってきているんですね。
出来る人が、同じ土俵で精一杯夢中になれる、
面白いことをしよう人たちの時代なのでしょうか…。

などなどを考えてしまいました。


※ 頭で話題にした、対談については、
「さかなの目」さんがよくこの対談を文字化されていますので、
以下を参照ください。

もし、面白いと感じたら、ぽちっと↓お願いします。
人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿