幸福論だとかが論議を呼んで、
世代論だとかに波及し始めるほど、
ある対談が大変話題になっておりました。
誰が正しいどうこうというより、私としてはこう、今を考えるのに、
面白い出来事だったなと、ミラノサローネ後の時代感、
ギリシャの暴動やらなんやらとあわせて、
いろいろと考えてしまったのですが、
映画だろうが、音楽だろうが、デザインだろうが、芝居だろうが、経済だろうが、
ひとつの串にあつまってきている。
いろんな人が
いろんな世界を抱えていて
それはそれで一つの真実であるという、
ある種仏教的にすべてを内包するような時、
メランコリーなだけでない、
ポジティブメローな時代になってきているのかなと。
でその一つの真実を、語りすぎることで、
人に押し付けたり、ロジカルに一概に説得できる、
いや、説得しようとするようなことでは
もしかしたらなくなってきているのではないかということ。
なんとなく、ちょっとづつ違うものが集合しているという状態。
まず、時代を語るということ自体も疑問になってきているんですが(笑)。
いや、
こんなことをまた考えてしまったのは、
また故に、糸井さんと堺雅人さんの対談を読んでしまってからなんですね。
品があるということはもしかしたら、別の言葉に置き換えられるのかもしれませんが、
次のところがd大変ココロにひっかかりました。
以下は「ほぼ日刊イトイ新聞-堺雅人さんと、満腹ごはん。」より引用
堺 でも、糸井さんの「品」っていう言葉で、
ああ、そういうことなんだなって。
それは料理だけじゃなくて、
作る映画だけじゃなくて、
いろんなことに言えるかもしれないですよ。糸井 うんうんうん。 堺 わかりやすくないっていうか。 糸井 心はちゃんと込められているんだから、
わかってもらえなくてもいいんだ、
あるいは、ありがとうって
言ってくれなくてもいいんだっていう
満足感が品だと思うんですよね。
それをできる人たちが、
やっぱり世の中には結構いてさ。全部言葉にしたり、
目立つようにしたり、
忘れてると思ったらわざわざ突っ込みを入れて、
もう1回言わせたり、
そういう、悪い意味での
テレビ的なものっていう時代が、
もしかしたら終われるかな。
それがうれしいですよね。
今しゃべってることだって、
「ここはどうしておもしろいかって言うとね」って、
もっとくどくだって言えますよね。
でも、これでいいや、
そのまま出しちゃえばっていうのも、
ぼくらのスタンスとしてはそこがやりたいんですよね。
で、そういうチルドレンが
やっぱり世の中にいるもんだなと思ってさ。
太字にしない強さ。
と。
あれもあって、これもあるという、面白い今になってきているんですね。
出来る人が、同じ土俵で精一杯夢中になれる、
面白いことをしよう人たちの時代なのでしょうか…。
などなどを考えてしまいました。
※ 頭で話題にした、対談については、
「さかなの目」さんがよくこの対談を文字化されていますので、
以下を参照ください。
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