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2011年6月3日金曜日

インドという国が辿る文脈。

インドに暮らしてわかりはじめたことをメモがわりに。

1980年代に入るまで、事実上インドは、経済的にも、
産業面でも、文化面でも、鎖国状態も同然だったのではないだろうか。
ガラパゴスどころの騒ぎではないわけです。

確かな情報ではないかもしれないが、
ほうぼう聞いてまわっているうちに、
個人的にこういう考えに至りました。

海外への渡航の際、国民に許された持ち出し金額は、
わずか500ドル程度だったそうだ。
クレジットカードが導入されたのも、80年代半ば。
人々が海外旅行が自由にできる状態とは程遠く、
海外に先に渡航して仕事を得たような幸福な身内や、
海外の見受け人を頼っていくしかなかったようだ。
実際、私たちにいつもよくしてくださる、
NID(National Insitute of Design)の元ディレクターでいらっしゃる
ムンバイのデザイナー、サトワルカー氏のご尊父は、
ムッソリーニ以前のフィレンツェで美術留学していたという、
あの時代にしては恵まれた状況の持ち主だが、
どういう経緯で知り合ったのかは不明だが、
フィレンツェにほとんど家族やルネサンス時代のパトロンのような、
ホームステイ先があったそうです。

海外旅行もままならない状態が、ついこないだまであったわけで、
イギリス以外の他の文化に触れる機会がなかった。
よって、サービス込みでの異国籍レストランというカルチャーも
つい最近10年程度のもので、
以前は、地のものを振舞うような日本でいうような定食屋。
あっても、中華料理のスタンドぐらいなものだったらしい。

今では、東南アジア系、イタリア系(彼らにしてみると近い感覚らしい)、
シズラー、イラン系、そしてむちゃくちゃ高い日本食も、
ブッフェやレストランで中の上階級以上には、楽しめるようになってきたとはいえ、
まだまだローカルに固執して凝り固まる感は強い。
(ちょっといろんな文化の文脈を疑似体験することは、
頭をひらいてくれる効果があるけれど、
決して、グローバル万々歳でアイデンティティを忘れることは良いことではない。)

宗教や長年の習慣が、伝統として強く、今、未来と並行しているようです。
これが、彼らの中でずっと残っていくものなのか、
トランジットなもので進行形で変容していくものなのか、
観察していくことが必要だなと、思っています。


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2010年6月4日金曜日

私、とみー。(自己紹介)

私、とみーが何をしているのかをお話します。


クリエイティブとメーカーさんの間、
またバイヤーやディストゥリビューターにたって、
どんなものをつくってもらいたいか、どんなものを売りたいか、買いたいか、


そもそもどんなデザインに落とし込みたいか、またどう生産したいか 
を整理して深めて展開して具体化する 

デザイン企画、商談通訳、ビジネス翻訳をしてます。 



お客さんは、 おもに、デザイナー、 
クルマだとかバイクだとか電車、照明、時計、などのプロダクトのメーカー、
シャツやバッグなどファッションメーカー、
テキスタイル、皮革、樹脂メーカーなどマテリアルメーカー等などなど、
最近では観光業界の皆さんにも
幅広くお世話になっています。。 



ワタシの学生時代は、デザインだとかは、勉強してませんでしたが、
インターンから正社員に採用いただいた、日本の自動車メーカーの
先行開発デザインスタジオで、企画営業として鍛えられ、
数々のトレンド研究分析、コンセプトカー企画、次世代プロダクト企画などに関わりました。


さかのぼると、もともと学生時代は、 
英文学専修でシェイクスピアの戯曲を研究していたり、 
英語や日本語で役者として芝居をしていたわけで、 
イメージ世界を言葉や動き、ビジュアルにしてこの世に生み出すことを、
研究していいました。


市場にあふれる言葉と気分
をトレンドやマインドとして、イメージにし、
商品というひとつの世界として構築することは今にも通じますね。 


ま、父がおもに、広告やパッケージの 
グラフィックデザインをしていたのですが、 
そのメンタリティが役立ってるんでしょう。 
門前の小僧経をおぼえるって感じでしょうか。 

言葉とイメージで地図をつくり、この世にうみだします。
経験豊かな旦那とネットワークと共に、
あちらこちらのお客さんの願いにたどり着けるように、
間の道をつなぐ、プランナー。

ひよっこですが、イタリアで日本と世界に羽ばたけるよう、

みなさん、いろいろご教示、ご鞭撻の程、宜しくお願いいたします。

以下リンク先が私達のネットワークと、オフィスです。
http://www.dsn-network.net/
http://www.beestudio.it/






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2010年6月1日火曜日

ふと思うこと。(セックス・アンド・ザ・シティ2をみて)6月1日

今日は固いこと抜きで、ガールズな話題ですんで、
読み飛ばしていただいても結構です。
実は、私、SATC2こと、セックス・アンド・ザ・シティ2を見に行きした(笑)。
ドラマのセックス・アンド・ザ・シティ、
私、もうDVD全部持ってるくらい大好きなんです。

あ、でもなぜか、今回乗り気でなかったんです。
映画版1でもう終わりだということで納得していたのですよね。
でも、見ました。夫つれて見ました(汗)。
せっかくの彼女たちの姿、観にいかなければ女ではないと(?)!


で、


・・・目の保養・・・にはなりました。
ときどき、会話がいいかなと思える瞬間がありました。
キレイな靴。
キレイなファッション。
かっこいい男性陣。
エキゾチックなパーティ。
きんぴかのリゾート。

でも、なぜか、悲しい気分になってしまいました。

いや、加齢(華麗)があるのは、わかっていたので、
別に悲しい理由にはならなかったのですと、
前提としてはっきり言っておきます。

これはなぜなのかと考えて、
ツイッターでも、つぶやきましたが、
あえてここでまとめちゃいます。






さて、
いい意味でも、悪い意味でも、SATC2は「祭り」になったのである


ほら、祭りってみんながその意味合いや、
記号の背景を理解しているわけではないけれど、
豪奢な神輿があって、盛り上がるからみんなでかついで練り歩く。


「ゴージャス」「パーティー」
「セックス」「ファッション」というお決まりのキーワードと、
映画ということで今回特別の「エキゾチック」をとってつけた
4人のNY女子の神輿が賑々しいお囃子と共に目の前を
ゆっくり通り過ぎていくのを、
観にいったわけである。



まずこのお祭り、キャラがあまりに簡略記号化していた。

かつて、自分でヴィンテージや靴を一点一点掘り出しては、
工夫し、涙を流して喜んでいたキャリーが、
あれやこれやとブランド物を、
ブティックのようにでかいクローゼットで、
無表情(!)で、無造作に(!)着替えたりするようになってしまったのだ。
いくら、印税で稼いでいるとはいえ、
買い与えられることになれたのか、キャリー?!

これでは、彼女が、主義に反すると思っている、
ただの「夫婦」姿と変わらないではないか!
確かに金持ちと結婚して好きなことするってのは、野望だったのだろうけれど、
「カオナシ(参考、千と千尋の神隠し)キャリー、堕ちたり」と思って幻滅した。

サマンサはいつものとおり。言うまでもなく。
ミランダは、確かにきっかけがあったとはいえ、
キャラ変ゆえに誰かわからなくなっていた。

あ、でも、シャーロットはキャラとして成立していたし、
奮闘して、彼女なりのスタイルになっていたような気がします。




NYだって、今の時期、大変難しい時期である。
実際、女社長サマンサの「さあ、憂さ晴らしよ~!」な発言や
ビッグの「株価下落して疲れてる」的な発言でも、
不況の香りをちょこっと加えている感じはする。

だけど、

私としては、この難しい時期に、
仕事も恋(現時点では愛でしょうか)もファッションも、
自分で痛い思いや恥ずかしい思いだとか、苦労をしながら、
新しいライフステージで、彼女たちなりの新しいライフスタイルを築いて、
がんばっている姿、


つまり、アラフォー、アラ50な
先輩たちの加齢を越えた、
成熟の過程を観たかった。
(バブルを引きずったり、加齢や生活臭や夫婦のリアリティを隠したり、
否定したり、仕方なく妥協したりするような過程ではない。)
そんなリアルな姿に勇気付けられたかった。


よっぽど、普通にサラ・ジェシカ・パーカーをドラマしたほうが、
年齢や夫婦生活だとか、ファッションだとか、子供だとかとの
日々のそれなりの哲学があって面白そう。


ドラマバージョンでは、
結構リアルな女のエゴと社会の通年との齟齬や折り合いなんかを
赤裸々にしたところが共感ポイントで、
そのドロドロしたものだとか、そこを乗り越える小さな幸せが、
ファッションに昇華されているところが、
私達に夢を運んでくれるドラマなんだと思って好きだったのに。

これでは、ただ単にゴシップで有名になる、
熟女パーティーガールと同じではないか。
正体不明、年齢不詳だからと、嫉妬されたり怪しまれても、しょうがないぞ。



これは、主観なので、きっと私が持っている結婚生活観が
多分に影響しているのだろうと思うと、
またこれはこれで、やっぱり悲しいけれど。
でも、ここからは、悲しみがあっても、
新しいトレンドを観れるとおもったらいけなかった。

ロイターでは、こんな記事がありました。

「映画「SATC2」、低評価でも高興収の予想」

でも、プレミアにいらした日本のみなさんは、
大興奮のもりあがりで・・・。
解釈や楽しみかたは人それぞれですな。



2010年5月28日金曜日

ミラノサローネ 2010 ~トレンドレポート(5)~

実は、最後のデザインランゲージをくくるキーワード、実は公開前に他でこのテーマを違う形でプレゼンしなくてはいけなかったのもあって、ブログの方での更新が遅れてしまいました。すみません(汗)。そんなことは誰も気にしていないでしょうけれども、またもや書きますね。

毎度ですが、全体をくくる背景の時代のマインドをここで一応参考として、書いておきます(イタリックの部分)。

マインドを取り囲む現状の前提として、「グローバリぜーション」と「ちっぽけな自分」という対極にある状況がキーワードとして浮かんでくるのではないでしょうか。



例えば、TwitterやFacebook、Tumblrだとかで考察も表現もどこまでもつながれるし、人の考えやモノを自分の中に取り込めてしまう可能性や、これに対して、ちょっといいんだろうかという疑問。クラスターという、緩やかな集まり、グローバリゼーションがもたらす、移民問題、世界同時性経済不況等のネガティブな要因、そんなこんなで降り積もった不安と、そのような事象が延長上にある未来への果てしない希望として、積極的に肯定していく気持ちという二つの反復するマインドが形や色などデザインコンセプトに反映されているのではと考えました。

さて、新しい、そして最後のキーワードです。

「クロスクラフトポップ」
以前からのエコ、ナチュラル志向の延長線上にあった、Arte Poveraやエスニック的な民芸の手仕事をモダンに編集しなおしています。アフリカや東欧のテイストなどもより強くなりました。地理的なグローカル論ではなく、時間軸やモノ、文化の境界を越え、混ぜながら編集されていくデザインテイストが見られます。(例 Bokja "Conversation Sofa", Carnevale Studio "The Stretch Collection", Edra " Barbarians - Cabana"...etc)

(Bokja"Conversation Sofa"
写真 www.milanostilee.it 

(Carnivale Studio " The Stretch Collection"

などなどです。

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2010年5月26日水曜日

クルマなイタリア。(フィアットグループの商品を見ていて)

アルファロメオの「ジュリエッタ」のCMを見ていて、アルファ自体のポジションは昔から確かに「ドライビングプレジャー」「アバンギャルド」というような言葉で表せるので、まあおいといて、フィアットグループには、なんでこんなにハッチバッククーペとかっぽいのばっかりあるんだろうと。確かに伊はハッチバック利用率高いんですけれど、こんだけ同じグループでブレラだとかがあるなかで、共食い状態になってしまうのではないだろうかと、人事ながら心配です(笑)。なんといっても、お上品でSangue blu(貴族)が乗っても恥ずかしくない3BOXの提案が減っているような気が致します。ランチア「テーマ」だって、だいぶ時間がたっているし(まあ、市場も飽和状態ですもんね…。)。新型ジュリエッタのCMを見ていて、思いました。確かに知られている「イタリアらしさ」は「官能」であったり「盛りだくさんさ」「退廃」だったりする部分もあるわけですが、気取り過ぎない「エレガンテ」であるということは、イタリア車に、もう誰も期待しなくなっちゃったんでしょうか。

よくメディアに取り上げられるような富裕層の方々、(ラポだベルルだブリアトーレだなんだって)遊び人でいらっしゃいますから、ラグジャリーブームのときは、やたらとヨットだスキーだとスポーティさ、カジュアルさでのファッションに力が入り。猫も杓子も官能のスポーツ仕様。教会だろうがなんだろうが、肩みせや胸元あけまくりという、セレブの南伊リゾート風ファッションが一般市民の日常生活の装いにも影響を与えてきてしまったのでしょう。そんなこんなで、ラリーのエキスパートというごりごりな要素もあったホンモノの質実剛健、上級ブランド、ランチアは、スポーツ感覚にあまりに特化しすぎたのか、いまや、やたらグリルだけ古風な「高級仕上げ風ブランド」になってしまったし…。

でも、本当に礼装を要求される場所はいまだにある。これは着てはいけません。こういう行動はいけませんという言わない規制は、いまだに敷居がだいぶ下がったとはいえ、ある。

ちょっと知っている人と乗っている車をむちゃくちゃ大きなカテゴライズでしてみると、例えば、クロスオーバーSUV乗っている人は確かに儲かってますし羽振りもいいですが、ある程度気を引き締めて商売しなければいけない相手だったりすることもあります。それこそ、礼装の場で、かっこいいだろうと、無粋な山登りブーツを履いてくるようなそれこそTPOをCross over(乗り越えてだとか、掛け合わせ)してしまうよく言えば個性的な感覚の持ち主なことも。大体、まじめで、しかも成果をあげているようなビジネスマンはBMV、AUDIあたりのドイツのセダンにのっているような気がします。実はいまだに、信頼されるにはまだまだセダンでなきゃいけないところがあるのです。大体こういう方は、やたらとMe-ismでなく、自分を客観視できる人だったり自分の行動に信条がある人。どういう風に見られているか、どういう仕事がしたいか、今何をしなければいけないのかを考えられる人だったりするような気がします。(あくまでイタリアでのことですし。あくまで個人的な見解ですが)

3BOXが、バブルで高級セダンの安売り状態になる前に、普通に「エレガンテ」の文法上にあった時代というのは、ハレとケ、公私がしっかりわかれているときだった。父親にはTu(一般的につかわれる「あなた」)ではなくVoi(Leiでもない尊敬の「あなた」)をつかう時代。ステッチやボタンなんかは隠すものだとか、襟はきちんと上までしめるだとか、シャツは白、スーツはできる限り黒に近くないと、いけないというある意味、文法があったわけで、そうでないと、母親がお玉もって泣きながらおっかけてくるとか、叱る状況や上下の秩序が常識としてある時代だったんですね、きっと。現時点ではストリート万歳な感覚なんですよね…。私としては、一糸乱れない礼装にぐっとくるタイプなのです。まあ、まだクルマがクルマであることを求められるイタリアであることは恵まれていて、大変楽しいことなのですが、懐古主義的になってしまってごめんなさい…。

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2010年5月23日日曜日

ミラノサローネ 2010 ~トレンドレポート(4)~

連続で書かせていただいております。ミラノサローネ2010年でみるデザインランゲージ傾向です。
以前の記事は「ミラノサローネ 2010 ~トレンドレポート〈3〉~」をご覧ください。

全体をくくる背景の時代のマインドをここで一応参考として、書いておきます。

マインドを取り囲む現状の前提として、「グローバリぜーション」と「ちっぽけな自分」という対極にある状況がキーワードとして浮かんでくるのではないでしょうか。



例えば、TwitterやFacebook、Tumblrだとかで考察も表現もどこまでもつながれるし、人の考えやモノを自分の中に取り込めてしまう可能性や、これに対して、ちょっといいんだろうかという疑問。クラスターという、緩やかな集まり、グローバリゼーションがもたらす、移民問題、世界同時性経済不況等のネガティブな要因、そんなこんなで降り積もった不安と、そのような事象が延長上にある未来への果てしない希望として、積極的に肯定していく気持ちという二つの反復するマインドが形や色などデザインコンセプトに反映されているのではと考えました。

さて、また新しいキーワードです。

「Boarderless ME]

自分の域というものを、自分の体で感じたり、触ったりして確認したい。体でびっくり、楽しみたい。例えば、大きかったり、延長されていたり、かくれんぼだったり、幻覚作用があるものなど。希望や祈りや個々のさまざまさをシンボライズ。虹色なカラリング。〈例 Delfine Frey "Perpetual Illusion (Clock〉, Fabio Novembre "Nemo", Rai Amitai "Nature of Material...etc)

ファビオ・ノヴェンブレ「ネモ」
〈写真&詳細Designboom

デルフィーヌ・フレイ「パーペチュアル・イルージョン・クロック」
写真&詳細(Yatzer)



次回が最後のキーワード!

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2010年5月21日金曜日

ミラノサローネ 2010 ~トレンドレポート(3)~

以前の記事、「ミラノサローネ 2010 ~トレンドリポート〈2〉~」から続けてお読みください。


前回で触れた、全体をくくる前提を書いておきます。

マインドを取り囲む現状の前提として、

「グローバリぜーション」と「ちっぽけな自分」という対極にある状況が

キーワードとして浮かんでくるのではないでしょうか。

例えば、TwitterやFacebook、Tumblrだとかで考察も表現もどこまでもつながれるし、人の考えやモノを自分の中に取り込めてしまう可能性や、これに対して、ちょっといいんだろうかという疑問。クラスターという、緩やかな集まり、グローバリゼーションがもたらす、移民問題、世界同時性経済不況等のネガティブな要因、そんなこんなで降り積もった不安と、そのような事象が延長上にある未来への果てしない希望として、積極的に肯定していく気持ちという二つの反復するマインドが形や色などデザインコンセプトに反映されているのではと考えました。
さて、今回は新たなキーワードです。

「メロー&スロー」
自然に寄り添うような北欧的なしっとりさと、遊び心のあるあ陽気さの融合。ちょっとした、おうちの懐かしさや、しみじみと安心感を得たいという感じの、やりすぎないメローさ、優しい曲線、包み込むフォルムや色とりどりのカラー、また抑圧を笑い飛ばして状況からポンっと抜け出したい軽快さ、ソファなども、なんとなくただ身体的なリラックスだとか、ねそべって癒されたいという「ネガティブないやし」とは違った安心感というスピリチュアルベースでの過ごし方の一道具であるようです。
(例、Patricia Urquiola for Moroso "Klara"など)




        パトリシア・ウルキオーラ 「クララ」 モローゾ社

                            〈写真&詳細Designboom
ヴィンセント・オルム「ユートピア」
〈写真&詳細MOCOLOCO

まだまだ続きます…。



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2010年5月18日火曜日

ミラノサローネ 2010 ~トレンドレポート(2)~






マインドを取り囲む現状の前提として、「グローバリゼーション」と「ちっぽけな自分」という対極にある状況がキーワードとして浮かんでくるのではないでしょうか。


例えば、TwitterやFacebook、Tumblrだとかで考察も表現もどこまでもつながれるし、人の考えやモノを自分の中に取り込めてしまう可能性や、これに対して、ちょっといいんだろうかという疑問。クラスターという、緩やかな集まり。グローバリぜーションがもたらす、移民問題、世界同時性経済不況等のネガティブな要因、そんなこんなで降り積もった不安と、そのような事象が延長上にある未来への果てしない希望として、積極的に肯定していく気持ちという二つがまた反復するマインドが形や色などコンセプトに反映されているのではと考えました。

私はすでに、5年欧州に住み始めていて、ちょっと視点が、欧州よりに偏ってしまっていますが、こんな私にとってとても現実で将来のクリエイションの種になりそうなデザインランゲージを読み取ってみたので、異論反論あるかとは思いますがメモとして列挙しておきます。今回、例にあげたなかにはBOOKSさんは含んでいません。というのも、たかが通訳でのお手伝いなのに、思いいれが強すぎ、「恋は盲目状態」になってしまうからです(汗)。

存在域のゆらぎ」

一瞬、シンプルモダンの延長に見えますが、避けられない圧倒的に大きなものの存在。すこしづつ違っているものも、マクロでみるとみんなでひとつという集合体であるというようは表現だとか、あるのに、無い感じ。無いようで、ある感じ。そんなつかみどころの無いものの周縁をなぞるような表現。存在するものの境界があやふやなもの。
(例 Tokujin Yoshioka "The Invisibles" for kartel, Tom Dixon "Mesh Chair" for Magis, Toshiba "Luceste"Suppose Design...etc )
谷尻誠「Luceste」東芝〈写真http://www.designboom.com/

トム・ディクソン「メッシュ・チェア」マジス社〈写真http://www.designboom.com/
ブース〈写真http://www.flickr.com/photos/stefiark/4554627905/より〉


まだまだレポートつづきます…。
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