2013年2月7日木曜日

"Ferrari Design: The Definitive Study" フェラーリ開発に詳しい本の紹介。

Glen Smaleさんというイギリスのカージャーナリストが、
書きました、フェラーリ専門の本です。
テスタロッサだけでない、開発アイデアの種やなかなか見れないスケッチなど、満載です。
Emanuele Nicosia〔エマヌエレ・ニコジア〕もおおいに語っております。
英語ですが、よろしければ、楽天でも売っているそうです。




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2013年2月4日月曜日

映画を見るときの反応が気になる。レ・ミゼラブルを劇場に見に行って。

私、やはりリサーチャーだからなんでしょうか?
映画を見ているときの反応が気になります。
先日、インドで奇跡的〔本当にインドで公開されるとは期待してなかったので、
あーDVDを買うしかないんだろうなと思っていましたから〕に公開されました、

シェイクスピアにつぐほど、
私の人生を変えたほどのおおおっきなミュージカル作品、
レ・ミゼラブル!!!!!

私、鹿賀丈史氏のジャン・ヴァルジャンのような旦那様にあって、
引き取られるシーンのコゼットのように、
抱き上げてもらってくるくるしてもらいたいと思っていましたから!

で、イタリア人の夫とインドのお客様、
こうも違うものかと比較すると面白いと思います。

イタリア人の夫→

「いい作品だね〔カソリック教徒的に〕。
音楽は、オペラの領域だよ〔オペラ好きとして〕。

あ、イギリス製作なんだ。
さすがドラマチックだよね。

ユーゴーはここまで人間と倫理の問題に深く入れるとはね。
役者陣もよかったし。
フランスはこう〔革命のできた国民〕なんだよ。
愛国心があって、フランス政府は自分の力で成っていると思ってる。
イタリア人にはそういうところがないんだよ。
自分の出生地ぐらいしか興味ないからね。
だって、ローマは別物だから・・・。

しかし、重いなーーー。
デヴィッド・コッパーフィールドじゃないんだから。
救いは、日々の笑いにもあるだろ。〔やっぱりイタリア人。〕」




インド人の団体たち→


ボリウッド慣れしているからミュージカルは大丈夫かと思いきや、
やっぱり、歌ありお色気あり笑いあり涙ありアクションありのボリウッドとは違います。

最後の反応として、前半のテナルディエたちに笑った後、もう、
後半から、もう悲しい雰囲気と、
とぎれない緊張感につまんなくなってしまったのか、
まったくよそを向いて、違う世間話に興じたり、
携帯をいじりはじめる。

育ったコゼットが美しいファルセットで歌うたびに、
「なんじゃこりゃ?」って感じで、
学生の男の子たちは猿まねして笑いのねたにし、
女の子たち、それに、うけまくり。
感情が伝わらず、ちゃちゃを入れはじめる。
ロックは大好きでも、若者のテノールやソプラノのファルセットが、
きっと苦手なんでしょうね。

ファルセット、特に、異様に、うけてます。

私、サントラをそらで覚えてるので、
感情移入しまくりのところで、
笑いがおこり、カチンときたことなんどか。

インド在住の日本人どうしで思ったのですが、
インド伝統音楽とボリウッドな民謡的なこぶしのまわす歌い方か、
英米ロックかしか聴きなれていないそう。
学校でも西洋クラシック音楽の教育は、そこまでなされてないとか。
だから、カラオケや誕生日の歌が、ずれずれなんですね。




どれだけ大真面目でも、
どれだけ悲しくっても、
受け止める側に、違和感をもたれたら、
笑いにしかならないという、
悲しい結果でした。



私は、涙にくれるは、
学生たちと合唱する気持ちで革命精神にゆらされるはで、
乗りまくりでした。
客観的に批評できる立場でないのです。
ライブで歌うキャストたちを長まわしでとらえるという試みが大変面白く、
映画にしかできない、ダイナミックなカメラワークがある。

大きな世界に漂う絶望と小さな私たちの小さな希望
〔告白やつぶやきのようなミュージカルナンバー〕が、
うねりを上げて、革命に。

ここでひとつふたつ。
確かに、すごくオープニングは暗示もあったり、ダイナミックだったりで印象的ですが、
”Look down”は、固定観念からなんだろうけど、こう、つるはしを振り下ろす動作とリズム、
監視官から身を隠すような環境があって、こう絶望が上から振ってくる感覚なんですよね。

流されるような感覚って、リズムとあってないんでないだろうか・・・とふと思ってしまって、
リズムとベースが心にしっかり錘を落とさないと、
その後の流浪との対比がでないんでないかとか・・・。

全体的に、うねりまでの一人一人の心象や環境の細やかな描写にとられるばかりに、
序破急の抑揚に欠けてしまったのではなかろうかと。
それがあって、辛くなってしまう観客も出てきてしまったのではないかなと推測してみたり・・。

でも、リアリティがあるのが、すばらしかったですし!
心ゆくまで鑑賞いたしました!




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2013年1月21日月曜日

エマヌエーヌ・ニコジアではありませんが、今後のご愛顧をお願いいたします!

フェラーリやピニンファリーナ関係の情報通の皆様、お世話になっております!!
過去の数々のニコジアの仕事を愛していただいて、本当にありがたい限りでございます!
ひとつ、日ごろ、前々から、ありがたいながらも、
なかなか申し上げにくかった点がありまして・・・。


ときどき、Emanuele Nicosiaを、
×→エマヌエーヌ・ニコジア
と記載なさっているのを見かけるのですが、


実は、本人の名前、Emanuele Nicosiaを日本語で再現すると。


○→エマヌエ・ニコジア
または
○→エマヌエー・ニコジア
〔あまり伸ばしすぎると本人的にはピンとこないそうでして、
その辺は良い塩梅で・・・。ややこしくってごめんなさい。〕



なのです。

彼のわかる彼の名前で呼んであげてくださいませ・・・。

〔おせわになった私の元上司は、ニコシアと呼んでいましたので、これも本人に通じます。〕


どうでもいいですよね〔笑〕。
申し訳ございませんでした・・・・。



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2012年12月15日土曜日

インドの学生と対話して。クルマという商品を考える。



インドは、確かに産業の発展が目覚しく、
核世帯化がすすんでいるにしても、

3世代での家族で行動するパターンが未だにある。
大家族での行動や住まい方に慣れているだけに、
友人であつまるとすると、あいのりはいつでもな感覚だ。

中流の上クラス、
父親は医者や産業コンサル、会計士、重役階級で、母は主婦だったりするような家庭。
または、父親、母親の共稼ぎだったりする。
もちろん、農場をもっていたり、アパートを持っていて、そこからコンスタントにお金が入ってくる。

さて、彼らが使うようなクルマは、現在、
家族のクルマとしては、Mahindra BoleroToyota InnovaMahindra ScorpioXylo等である。
〔なかなか販売台数のプレスリリースが見つからないが、
2010年のMPVセールスランキングではつねにこの4台間で競争してる様子だ。〕
まず、はじめに、中流の上クラス以上の階級の家族は、
ほとんど一週間に6日でドライバーを使っている。

なので、欧州の〔イタリアは確か〕ひとつのファクターである、
自分で使いたい倒したいというドライバーの欲望が優先されることは、
インドでは、まず、一部の高級スポーツカー以外にはないので、

今現在の大きなボリュームを握っているキーワードとしては、
ドライビング・プレジャー、ドライビング・コンフォートなどは二の次で、
乗っている家族への家なみの快適さと、
何はなくともマイレージ、安心感といえるのではないだろうか。



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2012年12月13日木曜日

インドに2年間余り住んで考えたこと〔1〕




1.悠久の時間

時間と工数がきっとつながってないんでしょうね。
どこかで日本の時間感覚も昔はそうだったらしいという風に聞きました。
確かに、日本の会議も始まりはあっても終わりがないですが、
なぜか納期はきっちりじゃないですか?

インド、完成までの時間、非常に長いです。
会議はヘッドの人がひとしきり話して終わり。
で、そこで言ったことが言ったとおりにならない。

自分の仕事量を計算して他と調整する想像力がないのかどうかもあるのですが、
できないことはできないとはいえないようです。
彼らのエチケットだとか、敬意のあらわし方なのかもしれません。

Noといえない日本を思い出します。

なので、「いつまでにあげます」ということを言わせるようにしていますが・・。
これまた、なかなかどうして・・・。出てこないんだなー。。。

漠然と、「明日」なんです。

明日って、インドでは明日というより、
それにつながる未来のことを言ってるんだとおもいます。

いやー、最近はもう、翻弄される自分が楽しいというか、
これを冗談にしない限りは胃がもたないんで、

確かに、注文ははっきりと、いろいろなことを言いますが、
基本、あまり期待しないです。

期待しないでおいて、それ以上のモノやパフォーマンスができたら、
すごいじゃないですか!



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2012年3月14日水曜日

ふと思うこと。2012年1月31日 〔カーデザインとプロダクトデザインについて〕

カーデザインとプロダクトデザインについて、エマヌエレ・ニコジアとディスカッションしまして、
また考えてみたことがあるので、書きのこしておかなければ!


以前、デザイン言語としての違い、クルマとプロダクトのデザイン傾向について、書いてみた記事
〔今回との私の見解の違いなど、読みたい方はこちらまで!→「ふと思うこと。2010年5月18日」〕がありますが、


今回は、クルマ、プロダクト、建築を、
所有者の気持ちや関係、距離感という切り口で考えてみたいと思います。


ニコジアも、カーデザインとプロダクトデザインの違いをこう感じていました。

プロダクトとクルマとの違いって、物体として、比較的、静的なものですよね。
〔造形や機能に動的な存在感を持たせたりすることはありますが・・・。〕
クルマは、動的なものなんです。


私も前回の記事のように、こんなことを考えていました。
自動車デザインとモノ、家具や空間デザインとは、互いの歩み寄りがあるとはいえ、根強く違いがあるものです。ダイナミック〈動的、躍動感がある〉かスタティック〈静的、安定している〉かという基本的なモノの在り方の違いがあります。
そうそう、プロダクトのユーザーはそこに在るプロダクトの周りをめぐって、じっくり眺めたり、
自分から触りにいって、手にとって、使ってみることができます。
産業革命以降、所有する時間は短くなり、不景気やエコが叫ばれ始めた今、
日本には古くからあった侘び寂びに代表されるサスティナビリティを、
コンシューマープロダクトにも求めるようになり、また所有の時間は伸びていきました
ただ、身近なモノ〔ロボット以外〕が自分からアプローチしてくることはマレです。
建築はといえば、ユーザーが大きな金額を個人として投資し、
自分の希望どおりにその空間に入りこみ、ユーザーはその空間に囲われて住まい、
その空間を自分のものにするよう、時間をかけて関係づくりを愉しみます
その関係は家族の何代にも続き、パブリックや文化になんらかの影響を与えます。
この引用を
「建築とは、ほとんどの場合はだれもがその存在を外から目にすることができ、おのずと公(おおやけ)になることから、本来パブリックな性格をもっています。
パブリックな性格をもつことの意味をチャーチル元英国首相は「私たちが建物をつくるが、 その後は、建物が私たちをかたちづくる」という言葉で残しているように、実は、建築や街によって、私たち自身が大きな影響をうけているのです。 
  
http://www.1101.com/skytree/2010-03-09.html
しかし、建築はユーザー側に動いて自分に向かってやってきたりはしません。
動きがないのです。
確かに、いろいろ朽ちてきたり、色がついてきたりして修復を求めてくることはありますが!
クルマは、どうでしょうか?
以前の記事のように、クルマはニコジアがいうには、以下の2点、


コストの大小という軸とライフサイクルの長短という軸
の他にもうひとつ、静、動があると。
私は、これをユーザーとの関係というものとして捉えたいと思っています。
ユーザーを中心として、対象に、または対象がどうアプローチする関係なのか。
プロダクトは人に運ばれたりしますが、その中に入るのは
クルマは人と離れたり近づいたりすることが自由です。
人の前に勝手やってきては見送るなんてこともありえます。
ユーザーになると自分が中に入って、他者に向かって近づいくというアプローチを持っています。


自分の体の延長ともいえるんではないでしょうか。
だからこそ、顔があったり、表面が動物のようであったり、名前がついていたりするんでしょうね。


バイクなんかもこういう感じなんでしょうか。
ただし、住まうという要素はまったくなくなってくると思いますが。


これからもこういうことを考えていきますので・・・。はい。



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2012年1月23日月曜日

市場の成熟度、企業と人材の経験値。

ビジネス、特にものづくりへの姿勢に関して、
日本、インド、イタリアを比較できるというのはなかなかないことだと思うので、
自分の実感を書き出してみたい。

日本って意外に、じゃあ、実際何を構築してきたの。
ってところが重みを持っていて、
結構意見交換している間に人の器を図ったりする。
イタリアも、実績大切だけれど、もっと先にいってて、
何をやってきたのかをぱぱっと話して、
どういう仕事でこういう信念があるからこうやってみたけど、
今後どうする?一緒に仕事つくっちゃおう?
こうしようかと、すぐ話に入られるので、本当に実戦経験値や肝っ玉がモノをいう。
〔日は石橋をたたいて、探りを入れるのに対して、
伊は石橋はわたらないとわかんないでしょと勇み足を踏んじゃう感じも
ネガティブ面としてあります。〕


さて、インド、探らせてもらった感じで一年目の、
局所から観察したせまーい愚痴になってしまうのだろうか。


インドはエリート層の抽象的な物事を語る〔考えるかどうかは別の話〕能力が高い。
お勉強のできる方々です。専門タームだとか、豊富に使っていらっしゃって、
よく本を読んでいらっしゃるんだわと感心することも多々。

しかし実際にこうしてみようああしてみようって論議になると、
いままで流暢だったセオリー部分がまったく適応されていなかったり、
実現までのタスクへのおろし方が具体的でないので、まったく絵空事で終わってしまうことも。
実現しようとする人のなかにも、
適応の仕方が「マイウェイ」なこともあったりで、
シナトラ歌っちゃうか?町工場の社長か?って人も多い。
自分の自慢話が延々と・・・。
ちょっとうまくいってない部分があるので、そこについて何か質問すると、
誇らしげに「No Problem」。
「何ごとも根性で向かおう!〔俺、最高!〕」という感じで終わってしまって、
そこにあるイシューをイシューと認めたくないので、具体策に持ち込めず、
いったい毎日何をしているのか、部下はマクロ的な仕事をするので精一杯だったりする。

その点、ポジティブなこともある。
グローバルな経験や視野を持っている方々はインドには多い。
こんな方々とは話が早い。
「こうしましょう」と何事に対しても提案できるし、
話がどう転がっても、ポジティブな方向につなげる気持ちがある。
失敗してもくじけないし、こだわることもない。

インドの将来は、確かに大きな内需成長に答えることにもあるが、
グローバルな市場にどう自分たちと自分の提案を競争にもっていくか、
誇りを捨てて、批評にさらされる準備があるかどうかなのではないだろうか?
キャピタリズム帝国主義なようで、今の時流であるローカル
確かにタタのナノは面白い商品と素敵なチャレンジ物語だけれど、
顧客はつぎつぎにやってくる欧米列強のローカライズ商品になじんでいる。

そんなところに、販売網以上にどんな製品の付加価値を提供するか。

ラタン・タタはナノを失敗作だと認めたようです。
確かに見切り発車だったかもしれない。

面白い商品のきっかけにはなりますよね!

追〕もうまったく日本語がつたなくなってきてしまいまして、すみませんです。

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