2011年6月3日金曜日

映画 Big Night「シェフとギャルソン、リストランテの夜」を見てローカライズを考えた。

モンスーンも近くなって、やっと、
ときどきスコールのような雨が乾いた土を濡らすインドはプネより、
こんにちはとみーです。

いい映画を見ました。

異文化がそのまま容易に入ってこれるグローバルな土壌とはいえ、
お客さんは未知のモノになかなかとっつけないものだ。
これはローカライゼーションしていく様ではないですか!
食事だけでなく、彼らのいままでの生き方と、移民した土地、
どう文脈と折り合いをつけて生きていくかなんです。

アメリカの片田舎に移住して、
お客のこないイタリアンレストランを経営している、
シェフの兄プリモとギャルソンの弟セコンド。
プリモはあくまでホンモノのイタリアにこだわった
料理を実現したい。
セコンドは銀行に最後通牒を渡されるほど、
経営もままならないリストランテをどう改善するか、
頭を悩まし、プリモに客への歩み寄りを提案しているが、
なかなか難しい。

※ここから先、斜めな字の部分はちょっとネタバレ。

道路を挟んだ向井のパスカルはいつも満員だ。
プリモの嫌う、ミートボールスパゲティやなんやかやの
擬似的イタリア料理とエンターテイメントで評判なのだ。
彼を頼って、セコンドが相談すると、
パスカルのトモダチ(?)の有名ジャズシンガー、メディア、友人を呼んで、
プリモとセコンドのリストランテ「パラダイス」で宴会をしようと、
イベントを企画してくれることになった。


冴えない毎日に、バクとしているとはいえ、
ゴールができた二人、
残金を下ろして、メニューの準備にかかる。
彼らが名も知らない「ビッグな客」が喜んでくれるイタリアンな食事を。
セコンドの女友達的彼女、プリモ憧れのお花屋さん、
セコンドの不倫相手などを巻き込んで、試行錯誤する。

Mr.Monkなトニー・シャルーブがプリモ(日本語でいうと一郎さんか?)。
プラダを着た悪魔やバーレスクの名脇役スタンレー・トゥッチが
セコンド(日本語だと二郎?)。
最近もっぱらゲイっぽい役にツイているスタンレー・トゥッチ
物腰の柔らかさや繊細な表情が、
女に弱いイタリア優男の役にぴったり。
なんとなく、かわゆいおじ様と思っていたが、
若いときはこんなに可愛らしいとは!

二人の話すイタリア語、多少アメリカなまりがあるとしても、わかるのでOK。
パスカル(ケネス・ブラナーのハムレットでポローニアスだった俳優ではないだろうか)
は、もう、聞いているこっちが恥ずかしいくらいだめだめイタリア語と、
わけのわからんハイテンション。

それにしても、
イタリア人っていっつもハイテンションで、叫んでいるように見えるんだろうか。
もし、そう思っていたとすれは、あれは叫びじゃないんです。
ちょっと主張したいだけなんです。
だから主張するときだけ、誰よりも声でかく、前へ前へなんです。

それはまた別として・・・。

ホンモノがそのまま受け入れられるには、
別の部分で、共感を創りださねばならない。
ホンモノでだめなら、自分のホンモノと、
その土地のモノや仕草を組み合わせたりして、
文脈へ融合していかなきゃいけない。


プリモには、ホンモノを提供したいから、
それなりの時間がなきゃいけない。
でも、セコンドは、リストランテは学校じゃないから、
客に受け入れられないものは改善すべきと。

ちょっと話を他にもつなげたい。

C.K.プラハラード氏の本でもBOP市場のケーススタディとして取り上げられたりした、
Hindustan Lever、ユニリーバがとったLifebuoy(確かこれだろう)
の「啓蒙活動」を思い出した。
NHKでも放送されていたようだが、
(日本にいなかったので放送は見れませんでした。)
学校にキャンペーンで回って、
「石鹸で手を洗いましょう。ユニリーバで殺菌しましょう。」的なスローガンを、
生徒たちに復唱させたように聞いた。

上記はあくまで聞きかじったのだが、
浸透させるには、戦略が必要だが、「教育」でいいのだろうかと、疑問。
時機が来るというゆったりした気持ちではもちろんいられない・・・。
ようは、文脈(コンテキスト)理解でリスクをおかしながら、
取捨選択していくしかないのだろう。

さて、私もプリモ的なのでしょうか。
日本食つくってといわれて、
職人さんの仕事である寿司は避けたいひねくれ者です。
せめてチラシ寿司と煮物や白身魚のホイル焼きなんかではいけないのでしょうか?
啓蒙しちゃってるんでしょうか?


(笑)


人気ブログランキングへ

インドという国が辿る文脈。

インドに暮らしてわかりはじめたことをメモがわりに。

1980年代に入るまで、事実上インドは、経済的にも、
産業面でも、文化面でも、鎖国状態も同然だったのではないだろうか。
ガラパゴスどころの騒ぎではないわけです。

確かな情報ではないかもしれないが、
ほうぼう聞いてまわっているうちに、
個人的にこういう考えに至りました。

海外への渡航の際、国民に許された持ち出し金額は、
わずか500ドル程度だったそうだ。
クレジットカードが導入されたのも、80年代半ば。
人々が海外旅行が自由にできる状態とは程遠く、
海外に先に渡航して仕事を得たような幸福な身内や、
海外の見受け人を頼っていくしかなかったようだ。
実際、私たちにいつもよくしてくださる、
NID(National Insitute of Design)の元ディレクターでいらっしゃる
ムンバイのデザイナー、サトワルカー氏のご尊父は、
ムッソリーニ以前のフィレンツェで美術留学していたという、
あの時代にしては恵まれた状況の持ち主だが、
どういう経緯で知り合ったのかは不明だが、
フィレンツェにほとんど家族やルネサンス時代のパトロンのような、
ホームステイ先があったそうです。

海外旅行もままならない状態が、ついこないだまであったわけで、
イギリス以外の他の文化に触れる機会がなかった。
よって、サービス込みでの異国籍レストランというカルチャーも
つい最近10年程度のもので、
以前は、地のものを振舞うような日本でいうような定食屋。
あっても、中華料理のスタンドぐらいなものだったらしい。

今では、東南アジア系、イタリア系(彼らにしてみると近い感覚らしい)、
シズラー、イラン系、そしてむちゃくちゃ高い日本食も、
ブッフェやレストランで中の上階級以上には、楽しめるようになってきたとはいえ、
まだまだローカルに固執して凝り固まる感は強い。
(ちょっといろんな文化の文脈を疑似体験することは、
頭をひらいてくれる効果があるけれど、
決して、グローバル万々歳でアイデンティティを忘れることは良いことではない。)

宗教や長年の習慣が、伝統として強く、今、未来と並行しているようです。
これが、彼らの中でずっと残っていくものなのか、
トランジットなもので進行形で変容していくものなのか、
観察していくことが必要だなと、思っています。


人気ブログランキングへ

2011年5月24日火曜日

映画 The Hangover ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い

今夜は、ひさびさに腹をかかえて笑ったコメディ映画について。
第二弾が公開とのことで、いよいよ期待高まっております。

いい着眼点です。
ほんと着眼点からして、もってかれました。

お酒を愛する人間なら、
誰でも豪快な酒の席での忘れたい思い出、
武勇伝はあると思うのだけれど、
シラフになって、恥ずかしいことに改めて直面させられるのは、
耐えられんですわ。

でも、他人の武勇伝は見ていて楽しいものですな。
二日酔いでゲロゲロになっているところには、
同席したくないけれど。
自分だけでも精一杯だろうに、
ほんとごめんです。

この方々、
武勇度数がハンパない。
でも有り得そう、でもこりゃやらんだろう。
でもやっちゃった。
すごいね、武勇だね。

共感するとともに、
そこまでやったか度合いに、
おそれいっちゃいまして、
彼らは隠されたヒーローになるのです、
大人がいい格好するだとか、
取り繕ったギャグで笑わせるんではないんですね。
隣のあのひとが、こんなことやっちゃったと。
ドラマの舞台は、現実世界から何を発信するか。
小さい自分がどこまでできるかと限界を超えていく様を描いているんですね。

これこそ、武勇です。夢です。
いい大人がハメ外すときは、
これぐらいでないと。
自分で薬をもるんでもなく、殺人を犯すのでもなく、お酒を飲む。
宴会を楽しむ。

要は、どう日常の文脈をどこまで広でるかで楽しむこと。

いや、私は私の範疇で満足することにいたしますが。

人気ブログランキングへ

2011年4月8日金曜日

Design Thinking 「デザイン」思考で思うこと。〔2〕

リサーチをつずけても、
生情報の断片を〔Elements〕どんなに編集しても、生情報は生野菜のようなものだ。
混ぜるだけでは何にもならない。サラダでさえ塩が必要だ。

編集しているうちに、作品へのつながりができてくるかもしれないが、
生情報を集めて、こんなに集めましたと満足げにされるとこまる。

デザイン思考〔Design Thinking〕の中でのデザイン・リサーチ〔Design Research〕は、
デザイン〔Design〕にむすびつかなければ、意味がない。
発想していくところで、
ペルソナ〔Persona〕の生活文脈〔Context〕に一番大切なものが何か、
沿っていける商品は何か。

自分が情報の中に生きてみて、
情報同士のかかわりを読み取って、
方向性や動きを感じて、
どこの筋を通せばいいのか、
を取捨選択する助けとする。

発想〔Abduction〕、自分がその人の生活をいきると、
わかりやすいような気がするけれど、どうだろう・・・。


人気ブログランキングへ

2011年4月7日木曜日

思ったこと 〔地震〕

実は事情があって、一時帰国していた今回。
東京の実家で今回の地震を経験した。

東京でさえここまで揺れるのかと。
しばらく厚着で寝る日々。
余震で船酔いがとまらない。
大丈夫だ。
これは、終わりでないかと不安になる。
アップダウンの激しい日々。

インドに残っていた夫は、
インド、イタリアから、
劇的な報道の嵐におわれた人々が、
私の安否確認に連絡してくるので、
その対応に追われ、
彼も私以上に不安になってる。

ときどき、不安が不安を呼んで、
互いにネガティブに沈んだりしてしまうことも。

今回の地震で大切なものこと、そして何よりも人を失ったかたがたが、たくさんいる。
私としては、そんな悲しみとロスに、
お祈りと少しばかりの心ざしがためになればと思っている。

I pray for Japan.

人気ブログランキングへ

2011年4月6日水曜日

Design Thinking 「デザイン」思考で思うこと。〔1〕

この世界に入り始めたときに、プランナーとしての思考のベースとして、
大大大先輩に薦められた
「発想する会社!-世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法」
という本がある。
アメリカのIdeo〔イデオ〕というデザインコンサルティングファームが実践している、
デザイン思考という思考プロセスや環境づくりを詳細にわたって書いたものだ。
最近、もっと広範の仕事術にも導入されつつあって、
私としても、ここ10年間、どういうものなのか、
それを長い開発時間と複雑なパーツを有する自動車デザインに、
どう適応されるかというところを、試行錯誤しつつ実践している。
また、最近、購読しているすごいブログ、「Design It! w/LOVE」。
その筆者である棚橋弘季さんが書かれた本、
「ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術」
を今読んでいて、いちいち鳥肌をたてている。

で、
実践する場合、デザインだけが製品開発ではないということを加味して、
効率を第一に考えて、比較的モジュールや役割の固定化しているカーデザインプロセス上で、
どこまで彼らのメソッドを既存のカーデザイン開発進捗の中で、実践できるだろうかと考えてみた。

・ラフプロトでのコンセプト確認

車のプロトタイプは、スタディモデルだけでもフリーズまで、最低20日間前後はかかる。
ただ、よく私たちが発想するときに潜在的にやっていることがある。
彼らのいうロールプレイのようなもの。

インテリアを考える際、
実際設定した寸法やボリュームを紙や糸、
家の家具でポジションや個々の関係性を体験的に検証ことを自然と行っている。

・ペーパープロト

でできるのは、もっと詳細にわたる、ストーリーの組み立て。
実際にストーリーを見せて、ペルソナとともに検証することだろう。

デザイン思考という文脈上で、私として考える課題なのは、

・どう、将来のシナリオ作り〔最低10年から20年の長期的展望〕に活かせるか

だ。


もうちょっと読み込んだり、情報を集めてみてみなきゃなと、今日はメモしてみた。



人気ブログランキングへ

2011年2月24日木曜日

インドに6ヶ月住んで、思ったこと。インド、産業デザイン。

お久しぶりです。

私はいま、デザイン企画の部分をあるデザインカレッジで教えたり、
こちらでのデザインプロジェクト、
そして、BEESTUDIOのオフィス設立に動いています。

今日は、インドのデザイン業界について、
考えたことをちょっとまとめてみたいと思います。
デザイナーという職種は、インドでは約20年間程度の若造です。

インドの産業、デザインスタイリング、アイディエーションの部分に、
意識が向き始めたのは、ここ10年程度のものなのではないでしょうか。
まだまだものづくりデザインはひよっこです。

デザイン業界の中心は、アートやモード的なデザイン、
ITなどを通して、WebデザインのOEMで発展した、
コミュニケーションデザインの部分が強く、
モノづくり産業の多くのメーカーは、
CADでできる部分をデザインの成果物と捉えているのが現状。
新しい文脈での新しい形や新しい意味を製品に与える作業が、
世に言うイノベーションなデザインと、
捉えられているような気がしています。

日本のように、ニーズへの供給が飽和状態を迎え、
個人嗜好の多様化している状況とは、
うって変わって、まだまだ不便なことや、
なんで、これしかないんだ的なモノがあちらこちらに転がっています。

また、忘れてはいけないのが、絶対的な階級差。

自転車を繰ってモンスーンのたびに舗装が剥がれる、いや、
土のままの何キロものがたがたな道のりを経て買い物や仕事をしている
下流階級とは打って変わって、
中流階級はより自分の生活様式を豊かにし、不便は、
下流階級のマンパワーに助けてもらって解消し、バイク、運転手付きの車で、
ショッピングモールでの買い物を楽しんでいます。
また、一方では、上流階級が、地価の高騰するムンバイで、
ビル一個を自分の自宅として建築し、ヘリコプターで移動しては、
映画館やボーリング場で楽しむ桁外れの生活をしています。

下流階級の仕事を奪って、便利なモノを売りつけるのではなく、
下流でも生活の中で使って役立つモノ、生活を豊かにするモノを、
いや、モノ以前のことができるかもしれない。

うん。コトからデザインしていけるかなと思っています。

人気ブログランキングへ