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2013年2月4日月曜日

映画を見るときの反応が気になる。レ・ミゼラブルを劇場に見に行って。

私、やはりリサーチャーだからなんでしょうか?
映画を見ているときの反応が気になります。
先日、インドで奇跡的〔本当にインドで公開されるとは期待してなかったので、
あーDVDを買うしかないんだろうなと思っていましたから〕に公開されました、

シェイクスピアにつぐほど、
私の人生を変えたほどのおおおっきなミュージカル作品、
レ・ミゼラブル!!!!!

私、鹿賀丈史氏のジャン・ヴァルジャンのような旦那様にあって、
引き取られるシーンのコゼットのように、
抱き上げてもらってくるくるしてもらいたいと思っていましたから!

で、イタリア人の夫とインドのお客様、
こうも違うものかと比較すると面白いと思います。

イタリア人の夫→

「いい作品だね〔カソリック教徒的に〕。
音楽は、オペラの領域だよ〔オペラ好きとして〕。

あ、イギリス製作なんだ。
さすがドラマチックだよね。

ユーゴーはここまで人間と倫理の問題に深く入れるとはね。
役者陣もよかったし。
フランスはこう〔革命のできた国民〕なんだよ。
愛国心があって、フランス政府は自分の力で成っていると思ってる。
イタリア人にはそういうところがないんだよ。
自分の出生地ぐらいしか興味ないからね。
だって、ローマは別物だから・・・。

しかし、重いなーーー。
デヴィッド・コッパーフィールドじゃないんだから。
救いは、日々の笑いにもあるだろ。〔やっぱりイタリア人。〕」




インド人の団体たち→


ボリウッド慣れしているからミュージカルは大丈夫かと思いきや、
やっぱり、歌ありお色気あり笑いあり涙ありアクションありのボリウッドとは違います。

最後の反応として、前半のテナルディエたちに笑った後、もう、
後半から、もう悲しい雰囲気と、
とぎれない緊張感につまんなくなってしまったのか、
まったくよそを向いて、違う世間話に興じたり、
携帯をいじりはじめる。

育ったコゼットが美しいファルセットで歌うたびに、
「なんじゃこりゃ?」って感じで、
学生の男の子たちは猿まねして笑いのねたにし、
女の子たち、それに、うけまくり。
感情が伝わらず、ちゃちゃを入れはじめる。
ロックは大好きでも、若者のテノールやソプラノのファルセットが、
きっと苦手なんでしょうね。

ファルセット、特に、異様に、うけてます。

私、サントラをそらで覚えてるので、
感情移入しまくりのところで、
笑いがおこり、カチンときたことなんどか。

インド在住の日本人どうしで思ったのですが、
インド伝統音楽とボリウッドな民謡的なこぶしのまわす歌い方か、
英米ロックかしか聴きなれていないそう。
学校でも西洋クラシック音楽の教育は、そこまでなされてないとか。
だから、カラオケや誕生日の歌が、ずれずれなんですね。




どれだけ大真面目でも、
どれだけ悲しくっても、
受け止める側に、違和感をもたれたら、
笑いにしかならないという、
悲しい結果でした。



私は、涙にくれるは、
学生たちと合唱する気持ちで革命精神にゆらされるはで、
乗りまくりでした。
客観的に批評できる立場でないのです。
ライブで歌うキャストたちを長まわしでとらえるという試みが大変面白く、
映画にしかできない、ダイナミックなカメラワークがある。

大きな世界に漂う絶望と小さな私たちの小さな希望
〔告白やつぶやきのようなミュージカルナンバー〕が、
うねりを上げて、革命に。

ここでひとつふたつ。
確かに、すごくオープニングは暗示もあったり、ダイナミックだったりで印象的ですが、
”Look down”は、固定観念からなんだろうけど、こう、つるはしを振り下ろす動作とリズム、
監視官から身を隠すような環境があって、こう絶望が上から振ってくる感覚なんですよね。

流されるような感覚って、リズムとあってないんでないだろうか・・・とふと思ってしまって、
リズムとベースが心にしっかり錘を落とさないと、
その後の流浪との対比がでないんでないかとか・・・。

全体的に、うねりまでの一人一人の心象や環境の細やかな描写にとられるばかりに、
序破急の抑揚に欠けてしまったのではなかろうかと。
それがあって、辛くなってしまう観客も出てきてしまったのではないかなと推測してみたり・・。

でも、リアリティがあるのが、すばらしかったですし!
心ゆくまで鑑賞いたしました!




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2011年6月3日金曜日

映画 Big Night「シェフとギャルソン、リストランテの夜」を見てローカライズを考えた。

モンスーンも近くなって、やっと、
ときどきスコールのような雨が乾いた土を濡らすインドはプネより、
こんにちはとみーです。

いい映画を見ました。

異文化がそのまま容易に入ってこれるグローバルな土壌とはいえ、
お客さんは未知のモノになかなかとっつけないものだ。
これはローカライゼーションしていく様ではないですか!
食事だけでなく、彼らのいままでの生き方と、移民した土地、
どう文脈と折り合いをつけて生きていくかなんです。

アメリカの片田舎に移住して、
お客のこないイタリアンレストランを経営している、
シェフの兄プリモとギャルソンの弟セコンド。
プリモはあくまでホンモノのイタリアにこだわった
料理を実現したい。
セコンドは銀行に最後通牒を渡されるほど、
経営もままならないリストランテをどう改善するか、
頭を悩まし、プリモに客への歩み寄りを提案しているが、
なかなか難しい。

※ここから先、斜めな字の部分はちょっとネタバレ。

道路を挟んだ向井のパスカルはいつも満員だ。
プリモの嫌う、ミートボールスパゲティやなんやかやの
擬似的イタリア料理とエンターテイメントで評判なのだ。
彼を頼って、セコンドが相談すると、
パスカルのトモダチ(?)の有名ジャズシンガー、メディア、友人を呼んで、
プリモとセコンドのリストランテ「パラダイス」で宴会をしようと、
イベントを企画してくれることになった。


冴えない毎日に、バクとしているとはいえ、
ゴールができた二人、
残金を下ろして、メニューの準備にかかる。
彼らが名も知らない「ビッグな客」が喜んでくれるイタリアンな食事を。
セコンドの女友達的彼女、プリモ憧れのお花屋さん、
セコンドの不倫相手などを巻き込んで、試行錯誤する。

Mr.Monkなトニー・シャルーブがプリモ(日本語でいうと一郎さんか?)。
プラダを着た悪魔やバーレスクの名脇役スタンレー・トゥッチが
セコンド(日本語だと二郎?)。
最近もっぱらゲイっぽい役にツイているスタンレー・トゥッチ
物腰の柔らかさや繊細な表情が、
女に弱いイタリア優男の役にぴったり。
なんとなく、かわゆいおじ様と思っていたが、
若いときはこんなに可愛らしいとは!

二人の話すイタリア語、多少アメリカなまりがあるとしても、わかるのでOK。
パスカル(ケネス・ブラナーのハムレットでポローニアスだった俳優ではないだろうか)
は、もう、聞いているこっちが恥ずかしいくらいだめだめイタリア語と、
わけのわからんハイテンション。

それにしても、
イタリア人っていっつもハイテンションで、叫んでいるように見えるんだろうか。
もし、そう思っていたとすれは、あれは叫びじゃないんです。
ちょっと主張したいだけなんです。
だから主張するときだけ、誰よりも声でかく、前へ前へなんです。

それはまた別として・・・。

ホンモノがそのまま受け入れられるには、
別の部分で、共感を創りださねばならない。
ホンモノでだめなら、自分のホンモノと、
その土地のモノや仕草を組み合わせたりして、
文脈へ融合していかなきゃいけない。


プリモには、ホンモノを提供したいから、
それなりの時間がなきゃいけない。
でも、セコンドは、リストランテは学校じゃないから、
客に受け入れられないものは改善すべきと。

ちょっと話を他にもつなげたい。

C.K.プラハラード氏の本でもBOP市場のケーススタディとして取り上げられたりした、
Hindustan Lever、ユニリーバがとったLifebuoy(確かこれだろう)
の「啓蒙活動」を思い出した。
NHKでも放送されていたようだが、
(日本にいなかったので放送は見れませんでした。)
学校にキャンペーンで回って、
「石鹸で手を洗いましょう。ユニリーバで殺菌しましょう。」的なスローガンを、
生徒たちに復唱させたように聞いた。

上記はあくまで聞きかじったのだが、
浸透させるには、戦略が必要だが、「教育」でいいのだろうかと、疑問。
時機が来るというゆったりした気持ちではもちろんいられない・・・。
ようは、文脈(コンテキスト)理解でリスクをおかしながら、
取捨選択していくしかないのだろう。

さて、私もプリモ的なのでしょうか。
日本食つくってといわれて、
職人さんの仕事である寿司は避けたいひねくれ者です。
せめてチラシ寿司と煮物や白身魚のホイル焼きなんかではいけないのでしょうか?
啓蒙しちゃってるんでしょうか?


(笑)


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2011年5月24日火曜日

映画 The Hangover ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い

今夜は、ひさびさに腹をかかえて笑ったコメディ映画について。
第二弾が公開とのことで、いよいよ期待高まっております。

いい着眼点です。
ほんと着眼点からして、もってかれました。

お酒を愛する人間なら、
誰でも豪快な酒の席での忘れたい思い出、
武勇伝はあると思うのだけれど、
シラフになって、恥ずかしいことに改めて直面させられるのは、
耐えられんですわ。

でも、他人の武勇伝は見ていて楽しいものですな。
二日酔いでゲロゲロになっているところには、
同席したくないけれど。
自分だけでも精一杯だろうに、
ほんとごめんです。

この方々、
武勇度数がハンパない。
でも有り得そう、でもこりゃやらんだろう。
でもやっちゃった。
すごいね、武勇だね。

共感するとともに、
そこまでやったか度合いに、
おそれいっちゃいまして、
彼らは隠されたヒーローになるのです、
大人がいい格好するだとか、
取り繕ったギャグで笑わせるんではないんですね。
隣のあのひとが、こんなことやっちゃったと。
ドラマの舞台は、現実世界から何を発信するか。
小さい自分がどこまでできるかと限界を超えていく様を描いているんですね。

これこそ、武勇です。夢です。
いい大人がハメ外すときは、
これぐらいでないと。
自分で薬をもるんでもなく、殺人を犯すのでもなく、お酒を飲む。
宴会を楽しむ。

要は、どう日常の文脈をどこまで広でるかで楽しむこと。

いや、私は私の範疇で満足することにいたしますが。

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2010年6月1日火曜日

ふと思うこと。(セックス・アンド・ザ・シティ2をみて)6月1日

今日は固いこと抜きで、ガールズな話題ですんで、
読み飛ばしていただいても結構です。
実は、私、SATC2こと、セックス・アンド・ザ・シティ2を見に行きした(笑)。
ドラマのセックス・アンド・ザ・シティ、
私、もうDVD全部持ってるくらい大好きなんです。

あ、でもなぜか、今回乗り気でなかったんです。
映画版1でもう終わりだということで納得していたのですよね。
でも、見ました。夫つれて見ました(汗)。
せっかくの彼女たちの姿、観にいかなければ女ではないと(?)!


で、


・・・目の保養・・・にはなりました。
ときどき、会話がいいかなと思える瞬間がありました。
キレイな靴。
キレイなファッション。
かっこいい男性陣。
エキゾチックなパーティ。
きんぴかのリゾート。

でも、なぜか、悲しい気分になってしまいました。

いや、加齢(華麗)があるのは、わかっていたので、
別に悲しい理由にはならなかったのですと、
前提としてはっきり言っておきます。

これはなぜなのかと考えて、
ツイッターでも、つぶやきましたが、
あえてここでまとめちゃいます。






さて、
いい意味でも、悪い意味でも、SATC2は「祭り」になったのである


ほら、祭りってみんながその意味合いや、
記号の背景を理解しているわけではないけれど、
豪奢な神輿があって、盛り上がるからみんなでかついで練り歩く。


「ゴージャス」「パーティー」
「セックス」「ファッション」というお決まりのキーワードと、
映画ということで今回特別の「エキゾチック」をとってつけた
4人のNY女子の神輿が賑々しいお囃子と共に目の前を
ゆっくり通り過ぎていくのを、
観にいったわけである。



まずこのお祭り、キャラがあまりに簡略記号化していた。

かつて、自分でヴィンテージや靴を一点一点掘り出しては、
工夫し、涙を流して喜んでいたキャリーが、
あれやこれやとブランド物を、
ブティックのようにでかいクローゼットで、
無表情(!)で、無造作に(!)着替えたりするようになってしまったのだ。
いくら、印税で稼いでいるとはいえ、
買い与えられることになれたのか、キャリー?!

これでは、彼女が、主義に反すると思っている、
ただの「夫婦」姿と変わらないではないか!
確かに金持ちと結婚して好きなことするってのは、野望だったのだろうけれど、
「カオナシ(参考、千と千尋の神隠し)キャリー、堕ちたり」と思って幻滅した。

サマンサはいつものとおり。言うまでもなく。
ミランダは、確かにきっかけがあったとはいえ、
キャラ変ゆえに誰かわからなくなっていた。

あ、でも、シャーロットはキャラとして成立していたし、
奮闘して、彼女なりのスタイルになっていたような気がします。




NYだって、今の時期、大変難しい時期である。
実際、女社長サマンサの「さあ、憂さ晴らしよ~!」な発言や
ビッグの「株価下落して疲れてる」的な発言でも、
不況の香りをちょこっと加えている感じはする。

だけど、

私としては、この難しい時期に、
仕事も恋(現時点では愛でしょうか)もファッションも、
自分で痛い思いや恥ずかしい思いだとか、苦労をしながら、
新しいライフステージで、彼女たちなりの新しいライフスタイルを築いて、
がんばっている姿、


つまり、アラフォー、アラ50な
先輩たちの加齢を越えた、
成熟の過程を観たかった。
(バブルを引きずったり、加齢や生活臭や夫婦のリアリティを隠したり、
否定したり、仕方なく妥協したりするような過程ではない。)
そんなリアルな姿に勇気付けられたかった。


よっぽど、普通にサラ・ジェシカ・パーカーをドラマしたほうが、
年齢や夫婦生活だとか、ファッションだとか、子供だとかとの
日々のそれなりの哲学があって面白そう。


ドラマバージョンでは、
結構リアルな女のエゴと社会の通年との齟齬や折り合いなんかを
赤裸々にしたところが共感ポイントで、
そのドロドロしたものだとか、そこを乗り越える小さな幸せが、
ファッションに昇華されているところが、
私達に夢を運んでくれるドラマなんだと思って好きだったのに。

これでは、ただ単にゴシップで有名になる、
熟女パーティーガールと同じではないか。
正体不明、年齢不詳だからと、嫉妬されたり怪しまれても、しょうがないぞ。



これは、主観なので、きっと私が持っている結婚生活観が
多分に影響しているのだろうと思うと、
またこれはこれで、やっぱり悲しいけれど。
でも、ここからは、悲しみがあっても、
新しいトレンドを観れるとおもったらいけなかった。

ロイターでは、こんな記事がありました。

「映画「SATC2」、低評価でも高興収の予想」

でも、プレミアにいらした日本のみなさんは、
大興奮のもりあがりで・・・。
解釈や楽しみかたは人それぞれですな。